『アルカディア』の話その2:ガスとオーガスタスなど

※2016/05/06投稿記事

 

さて、ようやく安西くんの役の話です。


オーガスタスとガスは、戯曲でも同じ役者が演じる事を指示されています。彼らの魂が繋がってるんじゃないか、という演出を受けた話はインタビューでも語っていますが、じゃあその理由はなんだろう?


私は、オーガスタスの魂は、歴史から消えてしまったセプティマスの存在、トマシナと彼女の遺した早すぎた発見を現代に知らせたかったのではないかと思います。
決してガス=憑依したオーガスタスとは思っていませんが、ガスはオーガスタスの見聞きしてきたものの記憶とシンクロしていて、彼の思いを汲み取っていたのかなと思います。

オーガスタスは、隠遁者になったセプティマスを見ています。この庭園で隠遁させるのを決めたのは、もしかしたらオーガスタスの意向も入っていたのかもしれません。亡き姉にとっても大事な人なのを知っているから。

ある方の考察で、ハンナにリンゴをあげるシーン、あれはリンゴ=知恵の象徴だから、庭の謎を解明して成功するのはハンナなのだというメッセージだったという旨を聞いて「なるほど!」と唸りました。
現代に願いを賭けたオーガスタスは、その役目をハンナに託していたのかな。
これは私の仮説ですが、トマシナが描いたセプティマスと亀の絵、オーガスタスが単純に欲しがったのをガスが引き継いだっていう考察に大体なりますが、過去→現代へ作用したのではなく、逆に謎を解き明かせるために現代の状態が過去に作用したっていう論は飛躍しすぎかな。あのあたりのシーンは、すでに現代と過去が2層のように同時に展開してるカオス状態だったわけだし。

そしてガスの、ハンナへの恋心。これはガスの感情だと思う。

あのですね、これは私の非常におとめチックな考察なんですけど…。
ガスくんには200年前の記憶がシンクロしていて、ゆえに当時の貴族の時の感覚も持っていて、それを静かに意識していて。
リンゴを渡すとき、ワルツに誘うときの妙に大仰な振る舞い。たった15歳の少年なりに、ハンナに対して貴族のように、もうなんなら「お姫様をエスコートする王子様(もしくはナイト)のように」振る舞おうとしたんじゃないかと思っています。
だって、ね!ハンナに仮装を見せた時もスカーフ跳ね上げてカッコつけてたじゃないですか。いっぱしの男でいたいんですよ彼女の前では!かわいくないですかそんなの///←突如萌え転がるヲタク


ラストのワルツ、本当に美しかったですね…。
カッコつけようとしたのか、最初に思い切りハンナをぐるん!と回したのはかわいかったですね。あのシーンはどうしてもトマシナとセプティマスに目がいってしまうけど、ハンナに微笑みかけられて信じられないほど優しく笑う表情、ハンナに回した手がすごく緊張しているところとか、すごく良かったからもっと皆さんに観ていただきたかった。
しかし、感想を検索すると、多くの方が良かったと絶賛するあのラストシーン。そこで、安西くんが演じているという事。もうこんなに嬉しい事はないです。


2組のワルツが時計回りに、まるで時間を回すみたいにくるくる回る。そこで、今まで動かなかったセットがゆっくり奥へ後退し、舞台は一気に奥行きが出て広がり、まるで夜に吸い込まれるような、世界が広がったような錯覚を起こす。あのドラマティックな美しい瞬間、息を飲みます。カーテンコールが終わっても、しばらく興奮が冷めませんでした。


ライスプディングと混じり合ったジャムは混沌の渦に飲まれ、二度とは元に戻らない。消えた命や歴史は戻らない。でも、混沌の中では形が変わっても、それらは確かに存在しているのだ。時計の針は進む、命は繋がる。セプティマスが言っていたように、誰かが捨てざるを得なかったものもやがて時を超え、誰かが見つけてくれるのだ。現代と過去がくるくる回るあの舞台を観ながら、そう思います。

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今回まず一番最初の感想として、あの舞台の世界観、あの役者さんたちの芝居の中に、安西くんが予想以上に溶け込んでいる事に驚きました。
もちろん他の先輩方に比べたら、まだまだ敵わない面のほうが大きいと思うんですけど、あのキャスト陣の中で悪目立ちするでなく、インパクトを与えるところではきちんと観客の目を奪って、しっかりとあの舞台の中の人物として生きていた事に感激しました。

『僕のリヴァ・る』で、あの演出家さんと実力揃いのキャストの中で座長を任されたのは、あえて『試練』を与えられたのだろうと勝手に思っているのですが、それが活きているのだろうなと。
初座長の戦国無双、舞台K、もののふ白き虎、納祭を経てリヴァる。彼は本当に、厳しくもとても丁寧なステップを用意してもらってきたんだなあと感じます。しかし今回のお芝居も、それらをクリアしてきて、ただこなすだけでなくしっかり自分の引き出しにしてきた彼の強さと貪欲さがあってこそ。

この公演中、新たな舞台が3本も発表になりましたね。
アルカディアを経て、また彼が私たちファンをどんな世界に連れてってくれるのか、とても楽しみにしています。
負けてられないな、自分もがんばらないとな。相変わらず、ポジティヴな励ましをくれる役者さんです。

『アルカディア』の話その1:トマシナとセプティマスなど

※2016/05/06投稿記事

 

舞台『アルカディア

SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 アルカディア

 

 

美しい。終演の余韻、それだけをずっと噛み締めてしまうような、素敵なお芝居でした。


日本ではこれが初演。事前に本国での劇評などを読み、『英国の知的な庭園ジョークが炸裂する(意訳)』と聞き、「いやそんなのわかるわけがなかろうさ??」と困惑したものですが、とにかくこの演目が日本で上演されるのはすごい事なんだ、そこに集まった役者さんもまたすごい方ばかりなのだという事だけでドキドキしたものです。そんな芝居に安西くんが出るのだ…と。

今回、今までにないわくわくがありました。
例えるなら、親の部屋に忍びこみ、わけもわからず古い本やレコードを手にとるような。イイ年ですが、そんな背伸びをして新しい世界を覗くような期待がありました。


さて、私は4/7、14、21の観劇でした。21は立ち見。
まずは幕が上がり、舞台装置の美しさに「これは絶対いい舞台だ…」と確信してしまいました。
テーブルの後ろに大きな白い格子の窓とドア。その奥が通路として広くなっており、背景は庭園のイメージと思われる抽象的イメージ。何より、屋敷の優雅さを表現したやわらかな明かり。
とくに照明による時間の経過が美しく、1幕終わりにゆっくりと西日がさしてゆくグラデーションや、2幕終盤の夜の青い色。あんな色、どうやって出すの?
朝日が昇るまえの朝5時の闇と、深夜の闇の青もきちんと違いました。綺麗だったなあ…。

そして、役者さんたちの達者な事!
いやもう当たり前のことなんですけど、声が通る。台詞も通る。表情だけじゃなくてきちんと声色、動きで芝居が伝わる。ただ彼らの台詞を聞いてるだけで心地良い。
やっぱり役者さんってすごいなあ。


今回私が一番大好きになってしまったのが、天才少女、トマシナ。
理想の、完璧な、少女でした。

終盤に、曲調もわからないのにワルツを踊る事をねだる姿が子供の背伸びだなと思いつつ、私が一番ハッとしたのが、セプティマスがトマシナの導きだした理論でいつか来る世界の終末に気づいてしまい絶望するシーン。
「それなら、踊ればいいじゃない!」というあの台詞。
世界の終わりよりも、今このワルツが大事だというあの10代の少女らしい感覚。
セプティマスは、そんな彼女がたまらなく眩しかったのだと思います。

数学少女というモチーフは、文学少女とはまた違う、プラスティックな清潔さ、無垢さがあります。
世界のあらゆるものは数式で表せるのだと高らかに言うあの子の非・有機的な感覚。
そして何より、あの子の唯一の肉欲的抱擁は、美しいワルツ。それだけ。なんて綺麗な存在なんだろう。
そして、あの天真爛漫な無邪気さがあるからこそ、余計にラストシーンが美しく切ない。
趣里さんという女優さんは、それを完璧に表現なさっていたと思うのです。


対してセプティマス。
もう、素敵でしたね…。冗談を言おうが下品な話をしようが、ずっと気品があるの。ずるい(笑)。

しかし、あんなに飄々として、悔しいほどハンサムでクレバーなあの人が、なぜ隠遁者になったのか。
『世界は終末に向かう』という概念を知った時のショックぶり、当初私にはピンときませんでしたが、科学がいまほど進化していなかった時代、さらに悠々と日々お貴族様の暮らしをしてきた彼にとっては考えた事もない恐ろしい事だったのでしょうか。
そこに、トマシナの死。
本当に気が狂ってしまったのかはわかりませんが、彼はやがて来る未来への警告のためなのか、彼女の存在を遺し続けたかったのか、ひたすら一心不乱に散文を書き殴り続けていたと思うと悲しくて仕方ありません。
カヴァリー家の人たちは、レディは、そして次期当主となったであろうオーガスタスは何を思っていたのか。


やだもう、久々のブログなのにさっそく長い(笑)。
一旦次の記事に分けます。