推しくんの彼のことをつれづれと。

※2016/10/22投稿記事

デキメン列伝【第13回】安西慎太郎 | ローチケ演劇宣言beta版

4月のインタビューですが、とてもいい記事なので。

前から書きたかったんですけど、書けるときにえいやっと書いてしまおうと。
敬愛する『よい子の歌謡曲』の記事のように、めんどくさくて自己中で熱烈なラブレターみたいなもんです。お恥ずかしい。

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さて、私が彼を知るキッカケになったのは『ミュージカル テニスの王子様 青学VS四天宝寺』です。彼の出世作というか、今の所代表作に必ず挙げられる作品。
私は当時、実際に観劇はしていません。DVD組。今でも七転八倒する勢いで悔んでいます。

(テニミュはこの前に全国氷帝で一度観劇をしているのですが、「これ以上観たらハマってしまう気がして怖い」という理由で避けておりました。こういう事思う時点でもうハマるしかないんだから腹を括ればよかった。涙)

もともと白石蔵ノ介というキャラクターは知っていて、1stの春川・佐々木氏の先輩キャストのお芝居も知っていました。だから当然、芝居(試合)の流れも。
DVDを観ながら、「大阪っていうかはんなりした子だな」「この妙にクセのあるエクスタシーはなんなんだ(笑)」などと面白がりながら観ていたのですが、運命のシングルス3の後半。
不二の『百腕巨人(ヘカトンケイル)の門番』の前に、徐々に余裕がなくなってきた時の、その表情。

凄かった。
『基本に忠実であるがゆえの完璧なテニス』を志す、彼のクールな表情がずるずると剥がれ落ちていくのがありありと分かった。
そして、その自らの課したポリシーに『固執』し、必死に『執着』しあがいている、ある意味で滑稽な、しかし人間くさい表情でした。
もう駄目でした。一瞬で恋に落ちました。

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彼の芝居の魅力の一つに、私はまず

『人の生き様は本当はみっともなくて愚かで、だからこそとてもいとおしいという事を繊細に表現できる役者』

というのを一番に挙げます。

『多面的』で、何かに『執着』する人間を演じるのが、非常に巧い役者だと思っています。
人は必ず多面性があって、綺麗なものと愚かなものを持っている。
誰でも何かにすがったり、固執したりして生きている。それをわかっている。
多分ですけど、彼は人間が好きなんだろうなあと思います。非常によく人間を観察していると思います。ある意味結構怖いです。

『舞台K』の伏見猿比古のような振り切れた、一見狂気に近い執着には、どこか置いて行かれた子供のような寂しさと幼さがありました。
『幽霊』のオスヴァル=アルヴィングもまた、病に冒され、酒を飲みくだを巻き、自分で死ねず人に殺してもらいたがるような自己中心的な青年でありながら、母親に依存し、子供返りしていくような役づくりは大変彼らしいなと思っていました。
対して『もののふ白き虎』の飯沼貞吉のように、ストレートに愚直なキャラクターも魅力です。ただし貞吉の場合、過去と未来の2役を同時に演じていたのですが、その切り替わりが佇まいだけで判るというのは凄かった。

多重構造的に役を演出しているので、彼の芝居を観ているとイマジネーションが働くというか、色んな事を考えてしまうのです。描かれていない過去や心情、これからどうなってしまうんだろうかなど…。
彼の役の人物像について、ついつい語りたくなってしまうファンはきっと私だけじゃないはず。だって色んな事を考えたくなってしまうのです。考えるからロスト感が激しい。だってもう逢えなくなってしまうんだもの。あの舞台上で『生きている』、いとおしい姿の彼に。


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そして、俳優である彼自身で私が一番好きな所は、『自分自身を表に出しすぎない』所でしょうか。
今はSNSなどでセルフプロデュースが出来る芸能人は強みです。発信する彼ら彼女らの素顔の日常に共感したり、「この人すごくいい人」「面白い人」と思わせる事は大事なスキルになってると思います。実際私もそれらが上手い人はすごく好きです。

しかし、正直私は彼の素顔がいまだによくわかりません。謎。
自己顕示欲の強い人達の多いこのご時世、あれだけ自分語りをしない所は逆にすごいと思います(笑)。

でも自身を表に出しすぎない事は、古い歌謡ファンの私からすれば非常に重要だと思うのです。
芸能人とは、役者とは人に夢を魅せる仕事。雑な言い方をすれば、好き勝手に人物像を作り上げられ、あれこれ言われる仕事。
彼はあまり自分を出しすぎない事で、勝手に私たちが色々想像し、夢を見る『スキマ』を作ってくれているんだと思います。
怖いのは、それをどこまで知って意図的にやっているかもわからない所なのですが…(笑)。
本人の意向なのか、事務所の意向なのかはわかりません。しかし、非常に有効な手段だとは感じます。何より発言やプライベートの挙げ足をとられて散々に言われるご時世、SNSは最小限に抑えるにこした事はないです。本当に。特にtwitterは本当にやらなくていい。まあもうちょっとブログで生存確認はしたいなあと思うけれど。


また、役者という仕事が観客のものだという感覚がある所も好きです。
彼がずっと言っていた「安西慎太郎の演技を観て、明日も頑張れると思ってもらえる俳優になりたい」。私はあの言葉で彼にとても好感を持ちました。
自分の仕事がエンタテインメントとして、人の感情に強く影響を与える職業なのだと、何故20歳やそこらの男の子が正しく理解しているのかと疑問すら持ちました。誰かに教わったのか…。

私たちの事を『ファン』とほとんど言わず、『お客様』と言う所も好きです。役者と観客というスタンスを冷静に持ってる所。こちらに対して甘えがない。
自分が役者として成長するという事より、自分の芝居で他者にどれだけ影響を与えられるか。舞台で彼がどうだったかではなく、芝居で何を感じてもらえたか。いつもそういう事ばかり言ってる気がします。


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現在、彼は事務所から非常に良いプロデュースをされていると感じます。1作1作に集中できるスケジュール、またその作品順も非常に丁寧に、役者としてのステップを踏んでゆける流れを作ってもらっているなあと。
短期的に使い倒して消費するためではなく、長期的に役者として仕事をさせたい意向を感じて、ファンとしてはとても嬉しいし本当にありがたいです。

来春からはドラマも決まりました。TVでイケメンドラマ、おおいに結構。地上波で、名前も上位にクレジットされている。これだけですごい事です。
イケメンドラマから名前が知られ、その後きっちり実力を評価された役者さんは沢山います。沢山の人に知られるキッカケが大事なのです。私の好きな人の芝居を、もっと色んな人に見てもらいたい。

まだ22歳です。まだまだ成長する所を観られる。
こんなに無条件に好きだと思える芝居をする人に出逢えるって、すごい。ありがたい。
彼が今同様の志を持って芝居し続けてくれるなら、私は10年20年と彼の芝居を観ていきたい、そんな風に思います。
すっかり深夜のテンションです。長文駄文ですみません。まあ、惚れた方の負けですからこういうのは。

いつまでも健やかで、芝居に貪欲であって下さい。よろしくお願いしますね。

 

 

 

喜びの歌、妄想のあれこれ。

※2016/8/29投稿記事

 

観劇してきました。
今回は結構なかなか刺さってしまい、とてもtwitterじゃはばかられるのでこちらに。
10代のメンヘラ女子みたいな事とか言いますのでご注意を。

舞台『喜びの歌』レビュー&コメント 大貫勇輔・中河内雅貴・安西慎太郎・鈴木勝秀 | レビュー - 舞台「喜びの歌」 - 著・おーちようこ - 鈴木勝秀 - 最善席

お写真やあらすじはこちらがお勧めです。

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「公演が終わった後に、『面白かった』『感動した』だけでなく、なぜ面白かったのか、感動したのか。お客さんに深く考えていただけるような公演にしたいです」
今回のパンフレットの安西くんのコメント。
本当にその通りで、このお芝居はお話の流れこそわかりやすいですが、テーマやメッセージ、そもそも結末もよくわからないまま、すべては観客に投げられてしまいます。
でも、考察や妄想をすればするほど面白くなる舞台です。

考察や妄想は人それぞれで違います。この舞台はそれだから面白い。
という事で、私の感想は超個人的です。

『もし私が10代でこれを観ていたら、イケダ青年と綺麗な海に入水して海の底で死ねる事を熱望しただろう。』

…もうホントお恥ずかしいですが、まずはこれを一番に思いました…(笑)。
そのぐらい、安西くん演じるイケダくんは、10代の私の理想と共感を強烈に感じる青年でした。

彼は『自らキリストの如く死ぬ事で同士の士気を高めさせ革命を押し進めようとした』革命家の父=ソノベを早くに亡くし、また政治犯扱いされたその父のせいで非常に苦しい生活を強いられて育つのですが、どうやら憎んでいるわけではありません。
むしろ父の遺した日記などを読み、彼もまた父の思想におおいに影響を受け、安西くん曰く『純粋であるが故に貢献欲が異様に強い』…つまり非常に歪んだ、排他的な正義感を持ってしまいます。


イケダ青年は、つまらない大人が許せません。一度は革命を志したくせに、10年経ったら革命のかの字も見えないようなおじさんになってしまったヨダとジンダイジの事は当然許せない。しかも父の死と、その後の自分の苦労を無駄にしたとも思ったと思います。
衛生的=正義でない存在は駆逐されてしまう世界で、彼は『害虫駆除の仕事』をしているそうです。シロアリとか、そういうの「も」やりますと。
明言はしていませんが、要は『正義でない存在を』『駆除』する仕事なのでしょう。そして、管理・監視された世界で、持ってたらおかしいはずのピストル。あれは仕事道具なのかもしれません。
そして、2人が揃ってから(自分がソノベの息子だと)明かしたかったと言い、「実は就職するんです。だからお2人からお祝いが欲しくて」と言いながら、ピストルを突き付ける…。


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私も昔、大人が大嫌いでした。愚痴愚痴と汚い言葉を並べるだけで、わかったような事を言い、押しつける。そうですね、殺せるなら殺したかった人もいたかもしれません。

キング・クリムゾンの『21世紀の精神異常者』の訳詞を口にするたび、彼は狂います。あれは彼の発火スイッチなんでしょう。あの歌詞のような世界の現代社会を忌み嫌い、粛清したかったのでしょうか。

私はイケダくんに、自分の10代を重ねてしまいます。
若さは潔癖です。そして視野が狭い。
汚い、煩わしい存在など、すぐに、今すぐに消してなかった事にしたい。自分が正しい。謎の万能感と、そのくせ膨れ上がるコンプレックス。
そして、自分がいつかつまらない大人になる事が許せない。

イケダくんは「いつか綺麗な海に潜りたい」と繰り返します。
決して「海が見たい」とか「泳ぎたい」ではありません。「潜りたい」。
私はお芝居初見だった日の夜、あるダイバーがカメラを回したまま沈んでいき、そのまま海底で命を落とすノンフィクション映像をうっかり見てしまいました。
引き上げられた遺体は、綺麗だったそうです。
海底は闇。ブルーから漆黒へのグラデーション。
イケダくんは賢い青年です。しかし夢みがちで、結果を急ぐ若者です。
うっとりと飽きもせず、水槽を眺める顔が本当に綺麗でした。いつか大人になる前に、綺麗なまま死にたいと、だから潜水を夢見ているのかもと思いました。


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しかし、どんなに夢を見ても、現実の私はもう30を超えてしまいました。
カッカした反抗心や潔癖さは薄れ、いい意味でもそうでなくても、ある程度の諦めを飼い慣らしながら生きています。でも、生きる事には絶望したくない。
そう、だから今の私は、ジンダイジに共感するのです。イケダの気持ちを痛いほど感じながら、ジンダイジの目線で彼を見ていたのです。だから、余計につらかった。

「なんでもっと早く死ななかった、一度は絶望したんだろ」
「生きるのが…好きだからだ」

ジンダイジにとって大事な事は「好き」か「嫌い」か。
イケダくんは「過激派の面影ないなあ」と、もう革命を起こせなくなってしまった彼に残念そうな顔で笑いますが、ジンダイジはあの世界の中で、しっかりと自分の『核』を持って、自分には何が大事かをちゃんとわかって、手にとって、選び取って生きています。これが大人の生き方なのだと私は思っています。
イケダくんは、何かそういう事を感じたのかもしれません。自分の信念が揺らいでしまったのでしょう。結局2人を殺せなくなって、出ていきます。

生きる事は苦しいです。
水槽の水は一見綺麗だけど、息苦しい。そして決められた箱の中。まるであの世界そのものです。
舞台セットであるあのバーも箱のようで、そういえばあの店には水しかなかったので、あそこそのものが『水槽』だったのかもしれません。だから、opとedでゆらゆらと踊り、最後には水槽に顔を潜らせるジンダイジさんがいたのかも。

あれから、イケダくんはどうしたでしょう。海で綺麗なまま死ぬ事を選んだか、年月を経て、彼の思うところのつまらない大人として生き抜いていくか。安西くんは、どういう風に解釈したんでしょうね。


ところで、拝金主義のヨダさん。
彼は大変器用に生きられるタイプの大人です。『安くて効率的でお得』なものにしか興味のない大人。しかしすごくタフに生きる気力体力を持ってる大人。ああいう風に生きられたら人生もっと悩まなくて済んだかなあと思いますが。まあそれは無理でした(笑)

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ああ、なんか思った以上にしっちゃかめっちゃか…;;
思ったまま書いているのでお許しを。
ほんとに考えたらキリがないぐらい、想像しがいのある舞台でした。
演出のスズカツさんが用意した世界で、役者が毎回ジャズの即興セッションの如く自由に変化し、『泳ぎ回る』。そんな舞台。芝居の上手い人達じゃないと出来ない事だと思います。

息を詰めて、まるで同じように水槽で窒息しかけたような感覚になり、あの地下の劇場から出て外への階段を上るとき、水から上がってきたような開放感と疲労感を感じました。
好きな役者さんで、こういう芝居が観られるのは本当に幸せ。次の『幽霊』も楽しみです。

『アルカディア』の話その2:ガスとオーガスタスなど

※2016/05/06投稿記事

 

さて、ようやく安西くんの役の話です。


オーガスタスとガスは、戯曲でも同じ役者が演じる事を指示されています。彼らの魂が繋がってるんじゃないか、という演出を受けた話はインタビューでも語っていますが、じゃあその理由はなんだろう?


私は、オーガスタスの魂は、歴史から消えてしまったセプティマスの存在、トマシナと彼女の遺した早すぎた発見を現代に知らせたかったのではないかと思います。
決してガス=憑依したオーガスタスとは思っていませんが、ガスはオーガスタスの見聞きしてきたものの記憶とシンクロしていて、彼の思いを汲み取っていたのかなと思います。

オーガスタスは、隠遁者になったセプティマスを見ています。この庭園で隠遁させるのを決めたのは、もしかしたらオーガスタスの意向も入っていたのかもしれません。亡き姉にとっても大事な人なのを知っているから。

ある方の考察で、ハンナにリンゴをあげるシーン、あれはリンゴ=知恵の象徴だから、庭の謎を解明して成功するのはハンナなのだというメッセージだったという旨を聞いて「なるほど!」と唸りました。
現代に願いを賭けたオーガスタスは、その役目をハンナに託していたのかな。
これは私の仮説ですが、トマシナが描いたセプティマスと亀の絵、オーガスタスが単純に欲しがったのをガスが引き継いだっていう考察に大体なりますが、過去→現代へ作用したのではなく、逆に謎を解き明かせるために現代の状態が過去に作用したっていう論は飛躍しすぎかな。あのあたりのシーンは、すでに現代と過去が2層のように同時に展開してるカオス状態だったわけだし。

そしてガスの、ハンナへの恋心。これはガスの感情だと思う。

あのですね、これは私の非常におとめチックな考察なんですけど…。
ガスくんには200年前の記憶がシンクロしていて、ゆえに当時の貴族の時の感覚も持っていて、それを静かに意識していて。
リンゴを渡すとき、ワルツに誘うときの妙に大仰な振る舞い。たった15歳の少年なりに、ハンナに対して貴族のように、もうなんなら「お姫様をエスコートする王子様(もしくはナイト)のように」振る舞おうとしたんじゃないかと思っています。
だって、ね!ハンナに仮装を見せた時もスカーフ跳ね上げてカッコつけてたじゃないですか。いっぱしの男でいたいんですよ彼女の前では!かわいくないですかそんなの///←突如萌え転がるヲタク


ラストのワルツ、本当に美しかったですね…。
カッコつけようとしたのか、最初に思い切りハンナをぐるん!と回したのはかわいかったですね。あのシーンはどうしてもトマシナとセプティマスに目がいってしまうけど、ハンナに微笑みかけられて信じられないほど優しく笑う表情、ハンナに回した手がすごく緊張しているところとか、すごく良かったからもっと皆さんに観ていただきたかった。
しかし、感想を検索すると、多くの方が良かったと絶賛するあのラストシーン。そこで、安西くんが演じているという事。もうこんなに嬉しい事はないです。


2組のワルツが時計回りに、まるで時間を回すみたいにくるくる回る。そこで、今まで動かなかったセットがゆっくり奥へ後退し、舞台は一気に奥行きが出て広がり、まるで夜に吸い込まれるような、世界が広がったような錯覚を起こす。あのドラマティックな美しい瞬間、息を飲みます。カーテンコールが終わっても、しばらく興奮が冷めませんでした。


ライスプディングと混じり合ったジャムは混沌の渦に飲まれ、二度とは元に戻らない。消えた命や歴史は戻らない。でも、混沌の中では形が変わっても、それらは確かに存在しているのだ。時計の針は進む、命は繋がる。セプティマスが言っていたように、誰かが捨てざるを得なかったものもやがて時を超え、誰かが見つけてくれるのだ。現代と過去がくるくる回るあの舞台を観ながら、そう思います。

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今回まず一番最初の感想として、あの舞台の世界観、あの役者さんたちの芝居の中に、安西くんが予想以上に溶け込んでいる事に驚きました。
もちろん他の先輩方に比べたら、まだまだ敵わない面のほうが大きいと思うんですけど、あのキャスト陣の中で悪目立ちするでなく、インパクトを与えるところではきちんと観客の目を奪って、しっかりとあの舞台の中の人物として生きていた事に感激しました。

『僕のリヴァ・る』で、あの演出家さんと実力揃いのキャストの中で座長を任されたのは、あえて『試練』を与えられたのだろうと勝手に思っているのですが、それが活きているのだろうなと。
初座長の戦国無双、舞台K、もののふ白き虎、納祭を経てリヴァる。彼は本当に、厳しくもとても丁寧なステップを用意してもらってきたんだなあと感じます。しかし今回のお芝居も、それらをクリアしてきて、ただこなすだけでなくしっかり自分の引き出しにしてきた彼の強さと貪欲さがあってこそ。

この公演中、新たな舞台が3本も発表になりましたね。
アルカディアを経て、また彼が私たちファンをどんな世界に連れてってくれるのか、とても楽しみにしています。
負けてられないな、自分もがんばらないとな。相変わらず、ポジティヴな励ましをくれる役者さんです。

『アルカディア』の話その1:トマシナとセプティマスなど

※2016/05/06投稿記事

 

舞台『アルカディア

SIS company inc. Web / produce / シス・カンパニー公演 アルカディア

 

 

美しい。終演の余韻、それだけをずっと噛み締めてしまうような、素敵なお芝居でした。


日本ではこれが初演。事前に本国での劇評などを読み、『英国の知的な庭園ジョークが炸裂する(意訳)』と聞き、「いやそんなのわかるわけがなかろうさ??」と困惑したものですが、とにかくこの演目が日本で上演されるのはすごい事なんだ、そこに集まった役者さんもまたすごい方ばかりなのだという事だけでドキドキしたものです。そんな芝居に安西くんが出るのだ…と。

今回、今までにないわくわくがありました。
例えるなら、親の部屋に忍びこみ、わけもわからず古い本やレコードを手にとるような。イイ年ですが、そんな背伸びをして新しい世界を覗くような期待がありました。


さて、私は4/7、14、21の観劇でした。21は立ち見。
まずは幕が上がり、舞台装置の美しさに「これは絶対いい舞台だ…」と確信してしまいました。
テーブルの後ろに大きな白い格子の窓とドア。その奥が通路として広くなっており、背景は庭園のイメージと思われる抽象的イメージ。何より、屋敷の優雅さを表現したやわらかな明かり。
とくに照明による時間の経過が美しく、1幕終わりにゆっくりと西日がさしてゆくグラデーションや、2幕終盤の夜の青い色。あんな色、どうやって出すの?
朝日が昇るまえの朝5時の闇と、深夜の闇の青もきちんと違いました。綺麗だったなあ…。

そして、役者さんたちの達者な事!
いやもう当たり前のことなんですけど、声が通る。台詞も通る。表情だけじゃなくてきちんと声色、動きで芝居が伝わる。ただ彼らの台詞を聞いてるだけで心地良い。
やっぱり役者さんってすごいなあ。


今回私が一番大好きになってしまったのが、天才少女、トマシナ。
理想の、完璧な、少女でした。

終盤に、曲調もわからないのにワルツを踊る事をねだる姿が子供の背伸びだなと思いつつ、私が一番ハッとしたのが、セプティマスがトマシナの導きだした理論でいつか来る世界の終末に気づいてしまい絶望するシーン。
「それなら、踊ればいいじゃない!」というあの台詞。
世界の終わりよりも、今このワルツが大事だというあの10代の少女らしい感覚。
セプティマスは、そんな彼女がたまらなく眩しかったのだと思います。

数学少女というモチーフは、文学少女とはまた違う、プラスティックな清潔さ、無垢さがあります。
世界のあらゆるものは数式で表せるのだと高らかに言うあの子の非・有機的な感覚。
そして何より、あの子の唯一の肉欲的抱擁は、美しいワルツ。それだけ。なんて綺麗な存在なんだろう。
そして、あの天真爛漫な無邪気さがあるからこそ、余計にラストシーンが美しく切ない。
趣里さんという女優さんは、それを完璧に表現なさっていたと思うのです。


対してセプティマス。
もう、素敵でしたね…。冗談を言おうが下品な話をしようが、ずっと気品があるの。ずるい(笑)。

しかし、あんなに飄々として、悔しいほどハンサムでクレバーなあの人が、なぜ隠遁者になったのか。
『世界は終末に向かう』という概念を知った時のショックぶり、当初私にはピンときませんでしたが、科学がいまほど進化していなかった時代、さらに悠々と日々お貴族様の暮らしをしてきた彼にとっては考えた事もない恐ろしい事だったのでしょうか。
そこに、トマシナの死。
本当に気が狂ってしまったのかはわかりませんが、彼はやがて来る未来への警告のためなのか、彼女の存在を遺し続けたかったのか、ひたすら一心不乱に散文を書き殴り続けていたと思うと悲しくて仕方ありません。
カヴァリー家の人たちは、レディは、そして次期当主となったであろうオーガスタスは何を思っていたのか。


やだもう、久々のブログなのにさっそく長い(笑)。
一旦次の記事に分けます。