喜びの歌、妄想のあれこれ。

※2016/8/29投稿記事

 

観劇してきました。
今回は結構なかなか刺さってしまい、とてもtwitterじゃはばかられるのでこちらに。
10代のメンヘラ女子みたいな事とか言いますのでご注意を。

舞台『喜びの歌』レビュー&コメント 大貫勇輔・中河内雅貴・安西慎太郎・鈴木勝秀 | レビュー - 舞台「喜びの歌」 - 著・おーちようこ - 鈴木勝秀 - 最善席

お写真やあらすじはこちらがお勧めです。

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「公演が終わった後に、『面白かった』『感動した』だけでなく、なぜ面白かったのか、感動したのか。お客さんに深く考えていただけるような公演にしたいです」
今回のパンフレットの安西くんのコメント。
本当にその通りで、このお芝居はお話の流れこそわかりやすいですが、テーマやメッセージ、そもそも結末もよくわからないまま、すべては観客に投げられてしまいます。
でも、考察や妄想をすればするほど面白くなる舞台です。

考察や妄想は人それぞれで違います。この舞台はそれだから面白い。
という事で、私の感想は超個人的です。

『もし私が10代でこれを観ていたら、イケダ青年と綺麗な海に入水して海の底で死ねる事を熱望しただろう。』

…もうホントお恥ずかしいですが、まずはこれを一番に思いました…(笑)。
そのぐらい、安西くん演じるイケダくんは、10代の私の理想と共感を強烈に感じる青年でした。

彼は『自らキリストの如く死ぬ事で同士の士気を高めさせ革命を押し進めようとした』革命家の父=ソノベを早くに亡くし、また政治犯扱いされたその父のせいで非常に苦しい生活を強いられて育つのですが、どうやら憎んでいるわけではありません。
むしろ父の遺した日記などを読み、彼もまた父の思想におおいに影響を受け、安西くん曰く『純粋であるが故に貢献欲が異様に強い』…つまり非常に歪んだ、排他的な正義感を持ってしまいます。


イケダ青年は、つまらない大人が許せません。一度は革命を志したくせに、10年経ったら革命のかの字も見えないようなおじさんになってしまったヨダとジンダイジの事は当然許せない。しかも父の死と、その後の自分の苦労を無駄にしたとも思ったと思います。
衛生的=正義でない存在は駆逐されてしまう世界で、彼は『害虫駆除の仕事』をしているそうです。シロアリとか、そういうの「も」やりますと。
明言はしていませんが、要は『正義でない存在を』『駆除』する仕事なのでしょう。そして、管理・監視された世界で、持ってたらおかしいはずのピストル。あれは仕事道具なのかもしれません。
そして、2人が揃ってから(自分がソノベの息子だと)明かしたかったと言い、「実は就職するんです。だからお2人からお祝いが欲しくて」と言いながら、ピストルを突き付ける…。


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私も昔、大人が大嫌いでした。愚痴愚痴と汚い言葉を並べるだけで、わかったような事を言い、押しつける。そうですね、殺せるなら殺したかった人もいたかもしれません。

キング・クリムゾンの『21世紀の精神異常者』の訳詞を口にするたび、彼は狂います。あれは彼の発火スイッチなんでしょう。あの歌詞のような世界の現代社会を忌み嫌い、粛清したかったのでしょうか。

私はイケダくんに、自分の10代を重ねてしまいます。
若さは潔癖です。そして視野が狭い。
汚い、煩わしい存在など、すぐに、今すぐに消してなかった事にしたい。自分が正しい。謎の万能感と、そのくせ膨れ上がるコンプレックス。
そして、自分がいつかつまらない大人になる事が許せない。

イケダくんは「いつか綺麗な海に潜りたい」と繰り返します。
決して「海が見たい」とか「泳ぎたい」ではありません。「潜りたい」。
私はお芝居初見だった日の夜、あるダイバーがカメラを回したまま沈んでいき、そのまま海底で命を落とすノンフィクション映像をうっかり見てしまいました。
引き上げられた遺体は、綺麗だったそうです。
海底は闇。ブルーから漆黒へのグラデーション。
イケダくんは賢い青年です。しかし夢みがちで、結果を急ぐ若者です。
うっとりと飽きもせず、水槽を眺める顔が本当に綺麗でした。いつか大人になる前に、綺麗なまま死にたいと、だから潜水を夢見ているのかもと思いました。


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しかし、どんなに夢を見ても、現実の私はもう30を超えてしまいました。
カッカした反抗心や潔癖さは薄れ、いい意味でもそうでなくても、ある程度の諦めを飼い慣らしながら生きています。でも、生きる事には絶望したくない。
そう、だから今の私は、ジンダイジに共感するのです。イケダの気持ちを痛いほど感じながら、ジンダイジの目線で彼を見ていたのです。だから、余計につらかった。

「なんでもっと早く死ななかった、一度は絶望したんだろ」
「生きるのが…好きだからだ」

ジンダイジにとって大事な事は「好き」か「嫌い」か。
イケダくんは「過激派の面影ないなあ」と、もう革命を起こせなくなってしまった彼に残念そうな顔で笑いますが、ジンダイジはあの世界の中で、しっかりと自分の『核』を持って、自分には何が大事かをちゃんとわかって、手にとって、選び取って生きています。これが大人の生き方なのだと私は思っています。
イケダくんは、何かそういう事を感じたのかもしれません。自分の信念が揺らいでしまったのでしょう。結局2人を殺せなくなって、出ていきます。

生きる事は苦しいです。
水槽の水は一見綺麗だけど、息苦しい。そして決められた箱の中。まるであの世界そのものです。
舞台セットであるあのバーも箱のようで、そういえばあの店には水しかなかったので、あそこそのものが『水槽』だったのかもしれません。だから、opとedでゆらゆらと踊り、最後には水槽に顔を潜らせるジンダイジさんがいたのかも。

あれから、イケダくんはどうしたでしょう。海で綺麗なまま死ぬ事を選んだか、年月を経て、彼の思うところのつまらない大人として生き抜いていくか。安西くんは、どういう風に解釈したんでしょうね。


ところで、拝金主義のヨダさん。
彼は大変器用に生きられるタイプの大人です。『安くて効率的でお得』なものにしか興味のない大人。しかしすごくタフに生きる気力体力を持ってる大人。ああいう風に生きられたら人生もっと悩まなくて済んだかなあと思いますが。まあそれは無理でした(笑)

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ああ、なんか思った以上にしっちゃかめっちゃか…;;
思ったまま書いているのでお許しを。
ほんとに考えたらキリがないぐらい、想像しがいのある舞台でした。
演出のスズカツさんが用意した世界で、役者が毎回ジャズの即興セッションの如く自由に変化し、『泳ぎ回る』。そんな舞台。芝居の上手い人達じゃないと出来ない事だと思います。

息を詰めて、まるで同じように水槽で窒息しかけたような感覚になり、あの地下の劇場から出て外への階段を上るとき、水から上がってきたような開放感と疲労感を感じました。
好きな役者さんで、こういう芝居が観られるのは本当に幸せ。次の『幽霊』も楽しみです。